広島旅行1日目(7/12)、その2。
2002年7月13日 頼んだ串焼きを攻略しても、まだグラスの焼酎は残っている。
「ちゃんと飲まなきゃいけませんよ」
「烏龍茶追加してもいいですか」
「ダメです」
グラス3分の2の焼酎を見つめる。飲んで飲みきれないことはないが、流石に身動きできなくなる量だぞ、これは。
「……無理しなくていいですよ」
煩悶していたら横合いから手が伸びて、それを半分飲んでくれた。全部あけるかと思いきや、残して戻してくる。これを飲まねば男じゃない(え?)ってことで残りを一気。
一瞬、目がまわった。
「お水頼みますか」
「……はい」
ということで、もらった水を一気のみ。
ちなみに、飯は当然おごりではない。まぁ、六千円のうち、私が払ったのは二千円だから、微妙に奢ってはくれたのだけれど。
「二千円でいいですよ。」
「はい」
「二万円でもいいですけれど」
「お釣り、一万八千円くださいね」
「…………」
一瞬、考えこんでいた。しっかりしろ、これくらいの計算。
向こうもビール2杯に焼酎で相当まわったらしく、煙草とライターをおいて出る始末(笑)。滅多にやらないのだけど。流石に腕につかまるまではしなかったが、かばんのはしをつかんで少し歩いた。
「――つかまるの、やめてください」
いわれるだろうなとは思っていたけれど。そうじゃなきゃ、あんたの足は速いんだってば。
最初に待ち合わせたデパートの前で、さようなら。また明日ね、といってクマは去っていった。
ホテルに帰着して。その前に歩きながら友人に電話はしていたのだけれど。寝ようと思ったのだが、どうしても眠れない。
元々酒が残っていると眠れない質なので仕方ないのだが、それ以外にも胸が痛くてどうしようもない。
切なくて痛むというのではない。物理的に、本当に時折、止まるじゃないかと思うほど痛む。実際、手足にしびれが走ったので、本気で血行障害起こしていたようなのだが。
原因は当然クマなのだが、今頃、明日は遊べないということが響いてきたというわけでもない。油断すれば、涙が出そうだった夕方とは違う。今は、涙も出てこない。
一番の痛みの原因は、一年たってもなにも変わらないクマの態度。一年たっても、結局、この人は私の気持ちに応えるつもりはないのだ、ということを改めて思い知らされて、それがドタキャンとあいまって、胸を圧迫する。
飛行機嫌いのため、飛行機に乗ると感じる胸の痛みとも違う。もっと根元的な原初の痛み。この痛み方には覚えがあると記憶を探ると、思い出すことができた。
――それは死への恐怖の痛み。
誰でも幼い頃に漠然と、死んだらどうなるのかという不安を覚えることがあると思う。このまま眠ったら二度と目覚めることがないような不安。死んだら、私の意識はどこにいくのだろうか、死後の世界はあるのか(これはちょっと違うか)。……そのような不安で胸が押しつぶされそうになったのは小学校2年の時か。あの一時期だけは本当に、死ぬことが怖かった。
閑話休題。
その時に感じた痛みと同じなのだ、これは。
何かが滅しようとしているその恐怖。終わるのかもしれないと思ったら、こんなにも顕著に身体にきた。
違う「終わるのかもしれない」ではなく「終わらせなければいけない」だ。受動的ではなく、能動的に。自分の意志で幕をひこうとしたら、身体に変調をきたしたのだ。
だがこのままでは、心のほうがもたない。きっちりと「ご臨終です」と宣言しなければ、どこかで破綻をきたす。
ぎりぎりと痛みを訴え続ける心臓に根負けし、起きあがって電話を手に取る。関東のお姉様に電話をして、あらいざらいぶちまける。……ちなみに、気がつけば明け方の5時近くまでしゃべっていたのだが(死)。
私とクマの食事風景を話すと「おかしい」といわれる。
「あのね、普通は人の残したもの食べないわよ。皿にいれられたって、残すわよ」
「でも、クマって食べ物残すの嫌いな人だから」
「そういう問題じゃなくて。それってよほど相手のことを受け入れていないとしないわよ。同じコップからも飲んだりしたんでしょ?」
「しましたね。お互い酔っぱらってたから、どこに口つけたかなんか覚えてませんけど」
いってて、自分でもおしいことをしたと思った(笑)。
クマとは初対面のときから、甘味をシェアしていたので、全然気にならないのだ、お互いに。一応、告白してからこっちは私はさりげなく意識しているけれど。
……ていうか、こっちが好きだといっているやつに食べかけのものとか、食べさせるなよ。断れないのか、とか思うのだがそうじゃないはずだし。
ともかく、ひとつのものを仲良く食べたり、相手の食べられないものを食べたりとかいうのは、仲の良い恋人同士じゃないと普通はやらないとのこと。
いや、私も前々からおかしいな、とは思っていたけれど。初対面でそれができる人だったし、私の友人にも平気でビールを味見させたりしていたからそういう性質の人なのだろうと思っていた。
そうか、やはりおかしいのか……。
あとは「(クマは)むちゃくちゃ意識している」という。
私も、去年のクリスマスのあたりからなんかおかしいなーとは思っていたのだけれど。何故にそう距離をとりたがるのか。ちょっと記憶が曖昧なんだが、去年の6月のときはこんなにも露骨ではなかったはず。
人との接触が嫌いなのは私もそうだから、なんとなくわかるのだけれど。それにしたって、ひどすぎやしないか?
そんな態度を見ていると、よほどこちらのことを嫌いなのかと思うが、そういうわけでもなさそうなあたりが解せない。この人の性格的に、そんなに嫌いな相手と一緒の時間をすごそうとは思わそうだし。
嫌われていないのはわかるのだけれど。でも、だからといって積極的に好意を持ってくれているわけではない。こちらの気持ちに応じる気もない。
なのに何故、こうして逢ってくれたりするんだ?
一年たっても、やっぱりよくわからない……。
「ちゃんと飲まなきゃいけませんよ」
「烏龍茶追加してもいいですか」
「ダメです」
グラス3分の2の焼酎を見つめる。飲んで飲みきれないことはないが、流石に身動きできなくなる量だぞ、これは。
「……無理しなくていいですよ」
煩悶していたら横合いから手が伸びて、それを半分飲んでくれた。全部あけるかと思いきや、残して戻してくる。これを飲まねば男じゃない(え?)ってことで残りを一気。
一瞬、目がまわった。
「お水頼みますか」
「……はい」
ということで、もらった水を一気のみ。
ちなみに、飯は当然おごりではない。まぁ、六千円のうち、私が払ったのは二千円だから、微妙に奢ってはくれたのだけれど。
「二千円でいいですよ。」
「はい」
「二万円でもいいですけれど」
「お釣り、一万八千円くださいね」
「…………」
一瞬、考えこんでいた。しっかりしろ、これくらいの計算。
向こうもビール2杯に焼酎で相当まわったらしく、煙草とライターをおいて出る始末(笑)。滅多にやらないのだけど。流石に腕につかまるまではしなかったが、かばんのはしをつかんで少し歩いた。
「――つかまるの、やめてください」
いわれるだろうなとは思っていたけれど。そうじゃなきゃ、あんたの足は速いんだってば。
最初に待ち合わせたデパートの前で、さようなら。また明日ね、といってクマは去っていった。
ホテルに帰着して。その前に歩きながら友人に電話はしていたのだけれど。寝ようと思ったのだが、どうしても眠れない。
元々酒が残っていると眠れない質なので仕方ないのだが、それ以外にも胸が痛くてどうしようもない。
切なくて痛むというのではない。物理的に、本当に時折、止まるじゃないかと思うほど痛む。実際、手足にしびれが走ったので、本気で血行障害起こしていたようなのだが。
原因は当然クマなのだが、今頃、明日は遊べないということが響いてきたというわけでもない。油断すれば、涙が出そうだった夕方とは違う。今は、涙も出てこない。
一番の痛みの原因は、一年たってもなにも変わらないクマの態度。一年たっても、結局、この人は私の気持ちに応えるつもりはないのだ、ということを改めて思い知らされて、それがドタキャンとあいまって、胸を圧迫する。
飛行機嫌いのため、飛行機に乗ると感じる胸の痛みとも違う。もっと根元的な原初の痛み。この痛み方には覚えがあると記憶を探ると、思い出すことができた。
――それは死への恐怖の痛み。
誰でも幼い頃に漠然と、死んだらどうなるのかという不安を覚えることがあると思う。このまま眠ったら二度と目覚めることがないような不安。死んだら、私の意識はどこにいくのだろうか、死後の世界はあるのか(これはちょっと違うか)。……そのような不安で胸が押しつぶされそうになったのは小学校2年の時か。あの一時期だけは本当に、死ぬことが怖かった。
閑話休題。
その時に感じた痛みと同じなのだ、これは。
何かが滅しようとしているその恐怖。終わるのかもしれないと思ったら、こんなにも顕著に身体にきた。
違う「終わるのかもしれない」ではなく「終わらせなければいけない」だ。受動的ではなく、能動的に。自分の意志で幕をひこうとしたら、身体に変調をきたしたのだ。
だがこのままでは、心のほうがもたない。きっちりと「ご臨終です」と宣言しなければ、どこかで破綻をきたす。
ぎりぎりと痛みを訴え続ける心臓に根負けし、起きあがって電話を手に取る。関東のお姉様に電話をして、あらいざらいぶちまける。……ちなみに、気がつけば明け方の5時近くまでしゃべっていたのだが(死)。
私とクマの食事風景を話すと「おかしい」といわれる。
「あのね、普通は人の残したもの食べないわよ。皿にいれられたって、残すわよ」
「でも、クマって食べ物残すの嫌いな人だから」
「そういう問題じゃなくて。それってよほど相手のことを受け入れていないとしないわよ。同じコップからも飲んだりしたんでしょ?」
「しましたね。お互い酔っぱらってたから、どこに口つけたかなんか覚えてませんけど」
いってて、自分でもおしいことをしたと思った(笑)。
クマとは初対面のときから、甘味をシェアしていたので、全然気にならないのだ、お互いに。一応、告白してからこっちは私はさりげなく意識しているけれど。
……ていうか、こっちが好きだといっているやつに食べかけのものとか、食べさせるなよ。断れないのか、とか思うのだがそうじゃないはずだし。
ともかく、ひとつのものを仲良く食べたり、相手の食べられないものを食べたりとかいうのは、仲の良い恋人同士じゃないと普通はやらないとのこと。
いや、私も前々からおかしいな、とは思っていたけれど。初対面でそれができる人だったし、私の友人にも平気でビールを味見させたりしていたからそういう性質の人なのだろうと思っていた。
そうか、やはりおかしいのか……。
あとは「(クマは)むちゃくちゃ意識している」という。
私も、去年のクリスマスのあたりからなんかおかしいなーとは思っていたのだけれど。何故にそう距離をとりたがるのか。ちょっと記憶が曖昧なんだが、去年の6月のときはこんなにも露骨ではなかったはず。
人との接触が嫌いなのは私もそうだから、なんとなくわかるのだけれど。それにしたって、ひどすぎやしないか?
そんな態度を見ていると、よほどこちらのことを嫌いなのかと思うが、そういうわけでもなさそうなあたりが解せない。この人の性格的に、そんなに嫌いな相手と一緒の時間をすごそうとは思わそうだし。
嫌われていないのはわかるのだけれど。でも、だからといって積極的に好意を持ってくれているわけではない。こちらの気持ちに応じる気もない。
なのに何故、こうして逢ってくれたりするんだ?
一年たっても、やっぱりよくわからない……。
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