つらつらと。
2002年7月2日 実は1週間前に書いておいたネタだったり。そのうち載せようと思いつつ時間がたった。おかげで、合間に色々本を読んで、微妙に気分も変わったりしているのだが、そのまま書いておくことにする。
人の恋ばなをきく機会が最近増えた。別にきいたからといって、私がどうこうアドバイスをするわけではないのだが。
きかされるってのは、それは普段から私が色々ほざいているからか? 別に経験があるわけではなくて、ただたんに現在進行形なだけなんだが。
なにを恋と定義するのかは難しく。
友人で「これは恋じゃない」とずっといっていた子がいた。だが、彼女の言動をきいていると、私からすると「恋だろ、それ」と思っていた。メールの返事がないと、しつこすぎたのか、嫌われたのかと思い、声がきけるだけで喜んで。
出逢いのきっかけやお互いの立場などが色々あって、本人も「恋じゃない」と思いこむことでセーブしていたようだが。
「最近は前ほど、神経質じゃなくなったのよ」と久し振りにきいたときにそういっていた。「もう、あのときと違うからさ」と。
「今でも、大事な人だよ」と彼女はいうけれど、彼女の恋はもう終わっている。
確かに今でも、その人に逢えば嬉しいんだろうし連絡できるだけで喜んでいるのだろうけれど。
彼女の中で、その人の占める割合は確実に少なくなっているのだ。
それがいいことなのか悪いことなのかは、彼女にしかわからない。
彼女は結局、気持ちを伝えないまま終わった。多分、この先も伝えることはないのだろうと思う。
同時期に(彼女の方が少し遅れて、だが)恋をしていたので、なんとなく今でも気になるのだ。
私の持論に「(気持ちを)いっても後悔、いわなくても後悔」というのがある。……だから、いって後悔しろ、ということではない。
タイミングを逃していわなかったことをその時は後悔しても、やがて時がたって想いが思い出になると、いわなくてもよかったかなと思えるようになる。
いわなかったおかげで、ずっとその関係が穏やかに続いていくこともあるのだから。
いうのをためらうのは、相手が自分の気持ちに気づいていない場合。人間とは好意には鈍感なものだ。友情とかお気に入り、とかぐらいは感じていたとしても、その先の気持ちを持っていることに気づくことはあまりない。
だから、いわれたときに吃驚して戸惑う。そして、そんな姿を見たくないから、いうのを躊躇うのだ。
そこで(気持ちに)応えられなかった場合、どちらにも気まずい想いが残り、今まで築いていたものすら崩れてしまいそうで。
いうことによって、何かが始まるのか、何かが終わるのかは、その時にならないとわからない。
私はいわなかったことを今は後悔していないので(つっても、いわなかったのって1回だけだからなー。あとは全部、いって玉砕)。
いわなかった気持ちも別に澱となってよどむのではなく、いつか結晶になるから。
ただし、何かをものすごく好きでいられる期間は短い。いつか終わりがくる。向こうから断ち切られるのではなく、ある日気がつくと、自分の中にその「想い」がなくなっているのだ。
あわてて探すがどうやっても、記憶はあるが想いが見あたらない。確かに流した涙も、幸せだった笑顔も覚えているのだが、そこに現実感が伴わない。そういえば、そんなこともあったよな、と懐古するだけ。
後悔するとしたら、好きだと思ったときに、めいいっぱい好きでいなかったこと。
全力で好きでいたら、気持ちを伝えても伝えなくても、それが思い出になったときに満足する。
だから、好きだということは押さえなくていい。それを相手にぶつけるか、一人で悶々とするかは別として。
好きだという気持ちに、気づかないふりをしたり、わざと忘れようとしたりしちゃいけない。
そういうものだと思う。
恋なんて、相手があってあるものだけれど、まずは自分の気持ちが大切。恋ってものは、利己的なものだし。それでいいんじゃないかな。
私の考える「恋」とは。
行動、思考原理が「好きだから」の一言で片づけられる状態のこと。
「好きだから」声が聞きたくて。
「好きだから」逢いたくて。
「好きだから」泣いて。
「好きだから」怒って。
「好きだから」笑って。
「好きだから」心配して。
「好きだから」何も手につかなくて。
「好きだから」側にいたくて。
「好きだから」――ただ、好きなんだなと思う。
別に「好きだから」なにをしてもいいというのではなく。
理屈や理論ではなく、その想いによって突き進む何かの原動力になるものだと。
……個人的に、恋に気づくのは、その人のことを思った(考えた)だけで、泣けた時。その時に、気づかなかった気持ちに気づく。いつも。
ずっと書きたかった話なんだが、なんだかんだでなかなか書けず。よーやっと書けたよ。ふぃー。
人の恋ばなをきく機会が最近増えた。別にきいたからといって、私がどうこうアドバイスをするわけではないのだが。
きかされるってのは、それは普段から私が色々ほざいているからか? 別に経験があるわけではなくて、ただたんに現在進行形なだけなんだが。
なにを恋と定義するのかは難しく。
友人で「これは恋じゃない」とずっといっていた子がいた。だが、彼女の言動をきいていると、私からすると「恋だろ、それ」と思っていた。メールの返事がないと、しつこすぎたのか、嫌われたのかと思い、声がきけるだけで喜んで。
出逢いのきっかけやお互いの立場などが色々あって、本人も「恋じゃない」と思いこむことでセーブしていたようだが。
「最近は前ほど、神経質じゃなくなったのよ」と久し振りにきいたときにそういっていた。「もう、あのときと違うからさ」と。
「今でも、大事な人だよ」と彼女はいうけれど、彼女の恋はもう終わっている。
確かに今でも、その人に逢えば嬉しいんだろうし連絡できるだけで喜んでいるのだろうけれど。
彼女の中で、その人の占める割合は確実に少なくなっているのだ。
それがいいことなのか悪いことなのかは、彼女にしかわからない。
彼女は結局、気持ちを伝えないまま終わった。多分、この先も伝えることはないのだろうと思う。
同時期に(彼女の方が少し遅れて、だが)恋をしていたので、なんとなく今でも気になるのだ。
私の持論に「(気持ちを)いっても後悔、いわなくても後悔」というのがある。……だから、いって後悔しろ、ということではない。
タイミングを逃していわなかったことをその時は後悔しても、やがて時がたって想いが思い出になると、いわなくてもよかったかなと思えるようになる。
いわなかったおかげで、ずっとその関係が穏やかに続いていくこともあるのだから。
いうのをためらうのは、相手が自分の気持ちに気づいていない場合。人間とは好意には鈍感なものだ。友情とかお気に入り、とかぐらいは感じていたとしても、その先の気持ちを持っていることに気づくことはあまりない。
だから、いわれたときに吃驚して戸惑う。そして、そんな姿を見たくないから、いうのを躊躇うのだ。
そこで(気持ちに)応えられなかった場合、どちらにも気まずい想いが残り、今まで築いていたものすら崩れてしまいそうで。
いうことによって、何かが始まるのか、何かが終わるのかは、その時にならないとわからない。
私はいわなかったことを今は後悔していないので(つっても、いわなかったのって1回だけだからなー。あとは全部、いって玉砕)。
いわなかった気持ちも別に澱となってよどむのではなく、いつか結晶になるから。
ただし、何かをものすごく好きでいられる期間は短い。いつか終わりがくる。向こうから断ち切られるのではなく、ある日気がつくと、自分の中にその「想い」がなくなっているのだ。
あわてて探すがどうやっても、記憶はあるが想いが見あたらない。確かに流した涙も、幸せだった笑顔も覚えているのだが、そこに現実感が伴わない。そういえば、そんなこともあったよな、と懐古するだけ。
後悔するとしたら、好きだと思ったときに、めいいっぱい好きでいなかったこと。
全力で好きでいたら、気持ちを伝えても伝えなくても、それが思い出になったときに満足する。
だから、好きだということは押さえなくていい。それを相手にぶつけるか、一人で悶々とするかは別として。
好きだという気持ちに、気づかないふりをしたり、わざと忘れようとしたりしちゃいけない。
そういうものだと思う。
恋なんて、相手があってあるものだけれど、まずは自分の気持ちが大切。恋ってものは、利己的なものだし。それでいいんじゃないかな。
私の考える「恋」とは。
行動、思考原理が「好きだから」の一言で片づけられる状態のこと。
「好きだから」声が聞きたくて。
「好きだから」逢いたくて。
「好きだから」泣いて。
「好きだから」怒って。
「好きだから」笑って。
「好きだから」心配して。
「好きだから」何も手につかなくて。
「好きだから」側にいたくて。
「好きだから」――ただ、好きなんだなと思う。
別に「好きだから」なにをしてもいいというのではなく。
理屈や理論ではなく、その想いによって突き進む何かの原動力になるものだと。
……個人的に、恋に気づくのは、その人のことを思った(考えた)だけで、泣けた時。その時に、気づかなかった気持ちに気づく。いつも。
ずっと書きたかった話なんだが、なんだかんだでなかなか書けず。よーやっと書けたよ。ふぃー。
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